
社長が全部抱えていた
「やらなきゃいけないことは山ほどある。でも、何から手をつければいいのかわからない」
建設関連会社の代表、三原さん(52歳)は、初回の面談でそう言った。声のトーンは落ち着いていたが、目の下にはっきりと疲れが見えていた。
売上8億円、従業員50名。公共工事を中心に安定した受注があり、地域では名の通った会社だ。倒産の危機があるわけではない。赤字でもない。
しかし三原さんの頭の中には、整理されないまま積み上がった課題が渦を巻いていた。
——若手の採用がうまくいかない。ベテランの職長が3年以内に2人定年を迎える。原価管理が甘い。営業は自分しかできない。DXと言われても何をすればいいかわからない。後継者も決まっていない。
「全部やらなきゃいけないのはわかってるんです。でも全部やる時間がない」
これは三原さんに特有の悩みではない。売上5億から20億くらいの中小企業の社長が、最も陥りやすい状態だ。会社は「社長が全部やる」で回ってきた。しかし課題の数と複雑さが、一人の処理能力を超え始めている。
問題は能力ではない。構造だ。
「忙しい」の正体を分解する
三原さんの1週間を聞いた。
月曜は朝から現場巡回。火曜は役所への書類提出と銀行対応。水曜は協力会社との打ち合わせ。木曜は見積もり作成。金曜は社内会議と翌週の段取り。土曜も現場に顔を出す。
「いつ経営のことを考えていますか」と聞くと、三原さんは苦笑した。
「夜中ですかね。布団に入ってから、ああしなきゃこうしなきゃって考えて、眠れなくなる」
これが「社長が全部抱える経営」の典型だ。すべてのボールが社長の手の中にある。一つも落とせない。だから走り続ける。走り続けているから、立ち止まって考える時間がない。考える時間がないから、優先順位がつけられない。優先順位がないから、全部やろうとする。
悪循環だ。しかし、この循環の中にいる社長自身は、それが悪循環だと気づいていないことが多い。「頑張りが足りない」と思っている。頑張りの問題ではないのに。
方程式で「見えていなかったもの」が見えた
私は三原さんの会社を、一つの方程式に当てはめて整理した。
構想、実行者、資本、虚飾、速度、減衰——経営の持続的成功に必要な要素を構造的に見るためのフレームワークだ。
三原さんに聞いた。「三原さんの会社の構想を、一文で言ってください」
三原さんは10秒ほど考えて、こう答えた。「……地域に必要とされる建設会社であり続けること、ですかね」
悪くはない。しかし、これは「願望」であって「構想」ではない。構想とは、「誰に、何を、なぜ、どうやって」が設計された状態を指す。三原さんの一文には「どうやって」がなかった。
次に聞いた。「三原さん以外に、この会社の方向性を自分の言葉で語れる人は何人いますか」
三原さんは黙った。
「……いないかもしれません」
ここだ。方程式の中の「実行者」がゼロに近い。構想が社長の頭の中にしかなく、言語化もされていない。だから社長以外に動ける人がいない。社長が全部やるしかない構造になっている。
三原さんの「忙しさ」の正体は、時間がないことではなく、実行者を作れていないことだった。
ストックが枯渇していた
次に、時間軸で会社を見た。
毎月の売上や利益(フロー)だけでなく、会社に蓄積されている資産(ストック)を確認する。ここで言うストックとは、現金だけの話ではない。
信用の蓄積。ノウハウの蓄積。人間関係の蓄積。
三原さんの会社のフローは悪くなかった。公共工事の受注は安定している。しかしストックを見ると、深刻な偏りがあった。
信用の蓄積: 三原さん個人への信頼は厚いが、会社としての信用は弱い。「三原さんだから発注する」という取引先が大半。三原さんが倒れたら、受注の半分は消える。
ノウハウの蓄積: 工事の段取り、原価管理のコツ、役所対応のポイント——すべて三原さんの頭の中にある。マニュアルも手順書もない。ベテラン職長の技術も同様。
人間関係の蓄積: 協力会社との関係も三原さんが一手に握っている。社員が直接やり取りする機会がほとんどない。
ストックの大半が「三原さん個人」に紐づいていて、「会社」に蓄積されていない。
私はこう伝えた。
「三原さん、今の会社は三原さんがいる限り回ります。でも、三原さんが1ヶ月入院したら、何が止まりますか」
三原さんの顔色が変わった。
「……全部、止まりますね」
ストックの個人依存。これが、三原さんの会社の本当の危険源だった。売上が安定しているからこそ見えにくい。しかし、一人の人間に依存した安定は、安定ではない。
「全部やる」をやめる——3ヶ月の設計
診断結果を踏まえて、三原さんと3ヶ月の計画を立てた。
ただし、最初に一つだけ約束してもらった。
「3ヶ月間、新しいことを始めないでください」
三原さんは面食らった。「何かを始めるために相談しに来たのに、始めるなって言うんですか」
「始める前に、今あるものを整理します。整理しないまま新しいことを始めると、社長の負荷がさらに増えるだけです」
「何から始めるかわからない」という社長に対して、新しい施策を提案するのは簡単だ。DXを入れましょう、採用を強化しましょう、営業体制を作りましょう。しかし、すでに処理能力の限界にいる社長に施策を積み上げても、実行されない。
私がコンサルティングの現場で確信していることがある。「何をやるか」の前に、「何をやめるか」を決めるほうが、はるかに経営を前に進める。
3ヶ月間、取り組んだのは3つだけだ。
1ヶ月目: 社長の仕事の棚卸し
三原さんが日常的にやっている業務をすべて書き出した。付箋1枚に1業務。壁一面に貼った。
87枚。
次に、3つに分類した。
- A: 社長にしかできない判断(構想・方針・対外交渉の最終決定)
- B: 社長がやっているが、他の人にもできる業務
- C: 社長がやるべきではない作業
結果、Aは12枚。Bは38枚。Cは37枚。
三原さんの業務の86%は、本来社長がやらなくていい仕事だった。
「わかっていたつもりだったけど、こうして見ると……」。三原さんは付箋が並んだ壁を見つめたまま、言葉を止めた。
2ヶ月目: 「任せる」の仕組みを作る
Bの38枚のうち、すぐに移管できるものを10件選んだ。工事部の副部長、事務の主任、現場のリーダー格——それぞれに業務と判断基準をセットで渡した。
ポイントは「丸投げ」ではなく「判断基準を言語化して渡す」ことだ。
たとえば、協力会社への発注判断。三原さんは経験と勘で「この現場にはA社、あの現場にはB社」と振り分けていた。これを言語化すると、3つの基準に整理できた。
- 工期の余裕度(タイトならA社、余裕があればB社)
- 工事の難易度(高難度はA社の職長を指名)
- 直近3ヶ月の品質実績
この基準を副部長に渡した。最初の2週間は三原さんが横で確認し、問題なければ任せる。
三原さんは言った。「こうやって言葉にすると、大したことないんですよね。でも今まで、自分の中だけにあった」
3ヶ月目: 構想の言語化
業務の移管が進み、三原さんの週に空白の時間が生まれた。水曜の午後と金曜の午前。週に合計7時間。
この時間を使って、三原さんは「構想」を言語化した。
「誰に、何を、なぜ、どうやって」。A3用紙1枚に収まるまで、何度も書き直した。
最終的にできた一文はこうだった。
「京都北部の公共・民間工事で、職長の技術力と工期管理の正確さで選ばれる会社であり続ける。そのために、3年以内に三原不在でも現場が回る体制を作る」
完璧ではない。しかし、「地域に必要とされる建設会社」とは解像度がまるで違う。「誰に」「何で選ばれるか」「どうやって」が入っている。
三原さんはこの一文を、翌週の朝礼で社員の前で話した。
3ヶ月後の三原さん
数字の劇的な変化は、3ヶ月では起きない。売上も利益もほぼ横ばいだ。
しかし、構造は変わった。
- 社長の業務量: 87件 → 52件(35件を移管)
- 社長が「考える時間」に使える週の時間: 0時間 → 7時間
- 副部長が単独で判断・実行している業務: 0件 → 14件
- 社員が「会社の方向性」を聞かれて答えられる割合: 0% → 「なんとなくわかる」が60%
三原さんに最後に会ったとき、印象的だったのは表情の変化だ。初回面談のときの、何かに追われているような疲れた目ではなくなっていた。
「まだ全然道半ばですけど」と三原さんは言った。「少なくとも、次に何をやればいいかは見えるようになった。それだけで、夜ちゃんと眠れるようになりましたよ」
「何から始めるか」より大切なこと
三原さんの事例から見えるのは、シンプルだが見落とされがちな事実だ。
「何から始めるか」に悩む社長に必要なのは、新しい施策ではない。今の状態を構造的に整理する時間だ。
課題が多すぎて身動きが取れない状態は、能力不足ではない。構造の問題だ。社長一人に業務とストックが集中する構造を変えない限り、どんな新施策も社長の負荷を増やすだけで終わる。
私の経験では、この「構造の問題」に気づくだけで、経営者の顔つきが変わる。「自分が頑張れていないのではなく、構造がおかしかったのか」と腑に落ちた瞬間、思考が前に向く。
三原さんの3ヶ月間を振り返ると、やったことは三つしかない。
- 社長の仕事を全部書き出して、分類した
- 判断基準を言語化して、人に渡した
- 空いた時間で、会社の行き先を言葉にした
派手さはない。しかし、これができている中小企業は驚くほど少ない。
もしあなたが「何から始めればいいかわからない」と感じているなら、まず一つだけ試してみてほしい。今週やった仕事を全部付箋に書き出して、「自分にしかできないこと」と「そうでないもの」に分けてみる。
その付箋の枚数の偏りに、答えが見えるかもしれない。
※本記事の事例は、筆者の支援・研修経験および調査・取材に基づいています。プライバシー保護のため、企業名・人物・状況等は架空の設定を含み、再構成しています。
山本高資|合同会社 才有る者の楽園 代表
経営伴走支援・AI研修・営業組織改革。中小企業の「才有る者」が、その才を最大限に活かせる経営を支援しています。
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