
※本稿は京都大学経営管理大学院(GSM)に通う筆者の、入学10日目の実感記です。実在の教授・授業テーマ・同期の発言は、プライバシーと学術的誠実性に配慮し、一切特定できない形で抽象化しています。
「経営戦略とは、何だと思いますか?」
確か、一見当たり前かのような問いを、先生が授業中にふと投げかけた瞬間だった。教室が一瞬、静かになった——そんな記憶だけが残っている。
40歳、自分で会社を経営してきた人間として、この問いには当然答えられるはずだった。十数年、経営戦略を立てる側にいた。クライアントにも「経営戦略が重要です」と何度も言ってきた。
それなのに、その瞬間、自分の口から出せる定義が、なかった。
経営戦略とは何か——その輪郭を、ちゃんと自分の言葉で言い切ったことが、十数年間、一度もなかったのだ。
(なお、本稿では京大MBAの授業で実際に議論されているテーマそのものには触れない。それらは、実際に教室に入ってみてこそ体験できる類の知的刺激だからだ。ここで書くのは、教室に入ったことで筆者の頭の中に起きた、ひとつの”現象”についてだ。)
“経営戦略”という言葉を、私たちはどれだけ正確に使っているか
その夜、自宅に戻ってから、手元の本棚を久しぶりに掘り起こした。自分の中の答えを取り戻しておきたかった。
経営学者 Henry Mintzberg が 1994 年に著した名著『The Rise and Fall of Strategic Planning』で、彼は経営戦略の定義を5つに分解して提示していた。Plan(計画)/Ploy(策略)/Pattern(行動の型)/Position(位置取り)/Perspective(視座)——いわゆる “Strategy 5Ps” だ。
Mintzberg が突きつけていたのは、シンプルな事実だった。
「経営戦略」という同じ単語を、5人の人間が、5つの違う意味で使っている。
経営会議で「経営戦略を見直しましょう」と誰かが言ったとき、計画を作り直す人、競合を出し抜く策を練り始める人、過去の意思決定パターンを振り返る人、競合ポジションを描き直す人——全員が「経営戦略」と呼びながら、違うゲームを始めている。これは経営の現場で毎日起きている、小さな悲劇だ。
時をほぼ同じくして、もう一人の経営学の巨人 Michael Porter は、『What Is Strategy?』(Harvard Business Review, 1996)で、Mintzberg とはまったく違う角度から経営戦略を定義していた。
Porter が提示した経営戦略の中核概念——彼の用語では “競争戦略”(Competitive Strategy)——は、次の一文に凝縮される。
“Competitive strategy is about being different. It means deliberately choosing a different set of activities to deliver a unique mix of value.” ——「競争戦略とは、”違うこと”を選ぶことである。独自の価値を届けるために、意図的に他社と異なる活動の組み合わせを選ぶことだ」
そして Porter は、さらに刺さる一行を残している。
“The essence of strategy is choosing what not to do.” ——「経営戦略の本質は、何をやらないかを選ぶことにある」
Porter にとって経営戦略とは、「独自のポジションを設計し、そのポジションを守るために、他社がやっていることを意図的にやらない」という排他的な選択の体系だった。「頑張って効率を上げること(オペレーショナル・エクセレンス)」と「経営戦略」を明確に分けたのも Porter の大きな貢献だ。両者は混同されがちだが、全く別物だと彼は言い切っている。
Mintzberg の 5Ps は経営戦略の多義性を暴き、Porter の定義は経営戦略の排他性を突きつける。同じ「経営戦略」という一語を、この二人の巨人ですら、根本的に違う切り方で扱っている。
教室に座っていた自分が、ただの一文「経営戦略とは」を内側で出せなかった理由は、こういうことだった。十数年使ってきた言葉だったのに、Mintzberg にも Porter にも一度も触れないまま、ただの”雰囲気の単語”として使い続けていた。これは、自分が属する中小企業の経営現場だけの現象ではなく、世の多くの経営会議で、静かに繰り返されているはずだ。
定義の再起動——入学10日間で最もインパクトのあった現象
この現象に名前をつけたい。定義の再起動——別名「知ってるつもり病」の治療過程、と呼んでもいい。
MBAに来て最も面白いのは、新しい知識を大量にインストールすることではない。自分がすでに使ってきた言葉の定義を、もう一度ゼロから教室の中で立て直す作業だ。
「経営戦略」だけではない。 「組織」とは何か。「マーケティング」は何を記述している行為なのか。「会計」はどこまでを可視化する言語なのか。「ミクロ経済学」は現実のどの部分を切り取っている学問なのか——。
一つひとつ、知っていたつもりの言葉が、教室で裸にされる。そのうえで、自分の言葉で輪郭を描き直す作業に入る。この「落とし込み」の重みは、想像以上だった。
本で読んで「わかった」と思っていた概念と、教室で問われて初めて「わかる」に到達した概念は、解像度が違う。後者だけが、翌日の経営判断に使える道具になる。
なぜ多様な同期がいると、再起動の速度が上がるか
教室を見渡すと、自分は中小企業経営者として少数派だとすぐに気づく。
周囲を見渡すと、公認会計士や税理士として実務を積んできた方、日本の大企業から派遣あるいは自主的に来ている方、外資系企業でキャリアを築いてきた方、官公庁で政策の現場に立ってきた方、長く海外で働いてきた方、会社を辞めて次のキャリアを模索している方、休職中で人生の輪郭を組み直している方——バックグラウンドは、想像していた何倍も広い。なかでも大企業出身の同期が想像以上に多く、同じ「経営戦略」という単語を聞いても、彼らが思い浮かべる世界は、自分が普段見ている世界とまったく違う。
ある同期にとっての「経営戦略」は、数百億円の設備投資判断だ。別の同期にとっては、監査法人のクライアントポートフォリオの組み替えだ。またある同期にとっては、国家予算の配分設計だ。自分にとっては、京都で数名の仲間と動かす意思決定の話だ。
同じ言葉の上に、これだけ違う現実が乗っている。
この多様性こそが、「定義の再起動」を加速させる装置になっている。
野中郁次郎・竹内弘高の古典『知識創造企業』(1995)は、日本発の経営学として世界中で読まれる名著だが、彼らが提示した SECI モデル(共同化→表出化→連結化→内面化)の核心は、「暗黙知は、他者との対話を通じて初めて形式知に変換される」という一点に集約される。教室という空間は、これを毎日、強制的に起こしている。
自分の中にずっとあった経営者としての暗黙知が、教授と同期との対話によって少しずつ言葉に変換されていく。この変換の手触りこそ、MBAに来ないと手に入らなかったものだ。
京都という、意外に騒がしい街
少しだけ、京都という街そのものの話をしておきたい。
京都は静かな街だと、よく言われる。これは半分、嘘だ。
京大の最寄り、百万遍交差点の周辺は、実のところそれなりに騒がしい場所だ。学生街特有の喧騒、観光バスの走行音、錯綜する自転車の気配が常に流れている。「京都=静謐」というステレオタイプは、この辺りでは当てはまらない。
授業を終えて吉田キャンパスを出ると、まずこの百万遍の喧騒の中を抜けることになる。そこから鴨川を渡る。渡った先で、街の音が少し遠のく。さらに西へ歩き、京都御所の敷地に入ると、急に街全体のボリュームが絞られる感覚になる。
授業の前後、御所の中を斜めに歩いて通る日が増えてきた。砂利を踏む音、遠くの鳥の声、整然と並ぶ松の連なり。90分の授業で再起動したばかりの定義たちが、御所の静けさの中で、ゆっくり自分の言葉として定着していく。
学びが、京都という街の音量設計の中に溶けていく感覚がある。百万遍の騒がしさと御所の静けさの落差こそが、頭を整理する天然の装置になっている。
で、実際のMBAの授業では、どんなテーマが扱われているのか?
ここまで読んでくださった方の中には、そう感じている方もおられるかもしれない。
その問いへの答えは、本稿では一切書かない。
書かないのは、隠しているからではない。書いても伝わらないからだ。教室で毎週交わされている議論の手触り、教授が投げかけてくる問いの鋭さ、同期たちの発言がつくる空気の密度、そして議論の先で自分の中に起きる言葉の再配線の感覚は、文字にした瞬間、間違いなく薄くなる。
だから——もしこの文章を読んで、少しでも何かが動いた方がいれば、ぜひ何らかの形で京大MBAの教室に足を運んで、自ら参画して確かめてみてほしい。
入り口はいくつもある。見学、聴講、そしてもちろん正規課程への受験——手段はいくつかあると思う。どの入り口から入っても、一度教室に座ってしまえば、ここに書いた”定義の再起動”よりもはるかに強い知的な地殻変動が、自分の中で起きるのを、ほぼ確実に体験する。
“MBAは使える/使えない”の議論は、もうそろそろ終わりにしたい
一方で、経営者の知人とMBAの話になると、必ず出てくる論点がある。
「MBAって、結局、使えるんですか?使えないんですか?」
書店のビジネス書コーナーにも、ネット記事のタイトルにも、この二項対立が氾濫している。有名経営者の “MBAはコスパが悪い” 発言がバズるたびに「やはりMBAは古い」という空気が漂い、別の有名経営者が “MBAで人生が変わった” と言えば、今度は逆の波が来る。
この議論は、根本的に筋が悪いと、中に入ってみてますます感じるようになった。
まず、使える/使えないは、100%その人次第だ。同じ授業を受けても、事業のあるステージにいる経営者と、キャリアの転機に立つ会社員と、アカデミアを志す学生では、得られるものがまったく違う。自分の側に「何を持ち帰るか」の仮説がなければ、どのMBAに行っても結論は”使えない”になる。問うべきは「MBAは使えるか」ではなく、「私はこのMBAから何を引き出せるか」だ。
そしてもう一つ、多くの議論で完全に抜け落ちているのが、20年前のMBAと、今のMBAは、ほぼ別物だという事実だ。
ガラケーとスマートフォンが、同じ”電話”でも全く別物であるのと同じことだ。
20年前のMBAは、戦略論・ファイナンス・マーケティングの古典を一通り入れて、ケーススタディを回すという、かなり画一的なフォーマットだったと聞く。ところが今のMBAは——少なくとも自分が中に入って体感している限り、あるいは開講科目のシラバスを見る限り——行動経済学、ESG・サステナビリティ、AIと組織デザイン、データ駆動型の意思決定、起業/事業承継/PE・VC、アカデミックな研究手法と実務の橋渡し——アジェンダの裾野が劇的に広がっている。教授陣のバックグラウンドも、学究の世界だけにとどまらず、実業・官公庁・スタートアップ・投資銀行など、明らかに多様化している。
だから、「15年前にMBAを取った先輩が”あれは使えなかった”と言っていたから」という情報を根拠に今のMBAを判断するのは、ガラケーを1台使った経験だけで今のスマートフォン市場を語るようなものだ。
MBAが”使える”かどうかは、結局のところ、自分で中に入って、今の現物を触ってみないとわからない。この一点に尽きる。
入学10日目の、一つだけ確かなこと
まだ10日しか経っていない。評価できる成果はない。
それでも、「知っていたつもりの言葉を、もう一度ちゃんと定義し直す」という作業の重要性を、こんなにも体感で理解させられる環境は、これまでの日常業務の中には存在しなかった。
「経営戦略」という、経営者として最も日常的に使ってきた言葉ですら、Mintzberg と Porter の二人の巨人の間で、定義が真っ二つに割れる。その事実を知った上で、それでも自分の会社で使う「経営戦略」を、改めて自分の言葉で定義し直す——この作業は、MBAに来ていなければ、たぶん一生やらなかった。
京大MBAは、外から想像している姿と、実際に中に座ってみた姿のあいだに、想定の何倍もの落差がある場所だった。その落差は、おそらく書き言葉では正確には伝えられない。
この先の2年間、一つひとつの言葉が自分の中で再定義されていくたびに、経営の判断も、会社のかたちも、確実に進化していく——その予感が、すでに確信に変わりつつある。
“知ってるつもり病”から抜け出した先に、どんな経営の景色が見えるのか。 40歳、十数年の経営現場を通り抜けてきたいまだからこそ、この再定義の一つひとつが、次の意思決定の精度を確実に上げてくれる——そう感じられる手応えが、入学10日目にしてすでにある。
それがたぶん、京都で学ぶということの、本当の意味だ。
山本高資|合同会社 才有る者の楽園 代表 京都府在住。中小企業向け経営支援・AI研修を手がける。2026年4月より京都大学経営管理大学院(GSM)で学ぶ。独自の「才有る式経営フレームワーク」を構築し、志あるほんまもん企業の伴走支援を行う。
引用・参考文献
- Mintzberg, Henry. The Rise and Fall of Strategic Planning. Free Press, 1994.
- Porter, Michael E. “What Is Strategy?” Harvard Business Review, November–December 1996.
- 野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社, 1996(原著:The Knowledge-Creating Company, Oxford University Press, 1995).
