良い人を採るほど、会社は遅くなる
Ralph C. Davis(1951)の経営学研究は、管理職が直接管理できる部下の数は3〜8人が目安になる、という基準を示した。現場監督者ならもう少し広く、最大30人程度とされる。V.A. Graicunas(1933)やLyndall Urwick(1956)も、似た結論に達している。
ところが、経営支援の現場で見てきた中小企業の多くは、社員が30人を超えても、価格決定も、採用の最終判断も、備品の購入稟議も、すべて社長一人の決裁を経由する。目安のはるかに外側で、会社が回っている。
この状態を、私は「承認渋滞」と呼んでいる。皮肉なのは、優秀な人を採るほど渋滞が悪化することだ。判断力のある人材ほど、自分で決めたがるし、決められる。なのに、その判断は社長の机の上で足止めされる。
結論から言えば、承認渋滞は経営者の能力不足ではない。組織の成長段階に応じて「何を、いつ、どう手放すか」を設計してこなかったことの結果である。本記事では、その理論的な背景と、中小企業がすぐに使える処方箋を書く。
小さいうちは、集中決裁が正しい
Larry E. Greiner(Harvard Business Review, 1972年発表・1998年改訂)の組織成長モデルによれば、組織の第1段階「創造性の段階」では、創業者中心の非公式な意思決定が最も効率的だとされる。少人数・単一事業のうちは、社長がすべての情報を握っていて、階層も委任の手続きもかけずに即断即決できる。これが最速だ。
Herbert Simon(1955年『A Behavioral Model of Rational Choice』, The Quarterly Journal of Economics)の「限定合理性(bounded rationality)」の考え方を借りるなら、人は完全な最適解ではなく「満足できる解(satisficing)」を選ぶ。情報処理の範囲が一人の脳内に収まっているうちは、この満足化の判断は驚くほど速く、精度も悪くない。
だから、創業期に社長がすべてを決めていたこと自体は、間違った経営ではなかった。むしろ正しかった。問題は、その体制のまま会社が大きくなったときに起きる。
渋滞が始まる場所——自律性の危機
Greinerのモデルは、第1段階の次に「方向づけの段階」が来て、そこで「crisis of autonomy(自律性の危機)」が起きると説明する。決裁者が、部下の自己統制の欠如と管理の必要性ゆえに仕事量過多に陥る、という危機だ。
Davisらの統制範囲(span of control)の目安に照らせば、社員30人の会社で社長一人がすべての決裁を持つのは、管理できる範囲の目安を数倍から十倍近く超えている計算になる。渋滞が起きるのは当然の帰結であって、社長の能力の問題ではない。
※以下は、筆者の経営支援の実務経験に基づいています。クライアント保護のため、企業名・人物名は架空のものを使用し、複数の事例を再構成しています。
こういう会社を、何社か見てきた。ある製造業の会社は、社員が15人から40人に増える過程で、見積もり承認は最後まで社長の専決事項のままだった。営業担当が増え、案件数も増えたのに、承認の窓口は一つのまま。見積もり回答までの日数は、目に見えて伸びていった。競合より提示が遅れ、失注の理由が「価格」ではなく「速度」になっている案件が、静かに積み上がっていた。
「渡さない社長」ではなく「渡し方を知らない社長」
才有るで運用しているAI参謀団31体の設計をしていて気づいたのは、権限委譲がうまくいかない社長の大半は、実は「渡したくない」のではないということだ。「何を渡していいかの基準」を、そもそも持っていない。
権限委譲は、覚悟の問題として語られがちだ。しかし現場で見る限り、覚悟の前に基準の欠如がある。どの決裁は取り返しがつかないもので、どの決裁はやり直しがきくのか。その線引きがないまま「任せる」と言っても、任された側は何を基準に判断していいか分からず、結局は事前に社長へ相談しにいく。渋滞は解消されない。
権限委譲は万能ではない——両面から見る
ここで念のため両面から見ておく。「権限委譲すべき」という一般論は正しいが、万能ではない。
Wasserman(2008年, HBR「The Founder’s Dilemma」)の分析では、米スタートアップ212社を対象にした調査から、創業者が支配権を握り続けることと企業価値の間にトレードオフがあると指摘されている。長期にわたって支配権を維持し続けた創業者(Bill Gates, Phil Knight, Anita Roddickなど)は「極めて稀」だとされる。つまり、多くの創業者は成長の過程で支配権を手放す方向に動く。これは権限委譲を進めるべきだという主張の裏付けになる。
一方で、委譲先の判断基準が育っていない段階で性急に権限を渡せば、渋滞よりも深刻な事故——誤発注、値引きの乱発、責任の所在が曖昧なままのクレーム対応——が起きるのも事実だ。日本企業に根強い稟議文化は、単なる非効率の象徴として語られがちだが、「複数人の目を通すことで誤判断のリスクを下げる」という機能も同時に持っている。集中決裁を崩すことと、判断の質を保つことは、別の設計問題として扱う必要がある。
処方箋——決裁レーンを引く
3つのステップに分解するより、まず1つの問いを持ち込む方が効く。「その決裁は、後から取り消せるか」。
Amazonが2015年の株主向けレターで示した「一方通行のドアと、両方向のドア(one-way doors and two-way doors)」という考え方が近い。取り消しがきく決裁(two-way door)は現場に渡し、取り消しがきかない決裁(one-way door)だけを社長の机に残す。この一線を引くだけで、承認渋滞の大半は解消に向かう。
| 決裁の性質 | 誰が決めるか | 具体例 |
|---|---|---|
| 取り消しがきく・影響が小さい | 現場・担当者 | 既存客向けの通常見積もり、消耗品の発注 |
| 取り消しがきく・影響が中程度 | 部門責任者 | 新規客への初回見積もり、小口の値引き |
| 取り消しがきかない・影響が大きい | 社長 | 採用の最終決定、既存の契約条件の変更、大口の値引き基準そのものの改定 |
このレーン分けを一度紙に書き出すだけで、「今まで社長に来ていた案件のうち、何割が本当に社長でなければならなかったか」が可視化される。多くの会社で、その割合は驚くほど低い。
承認渋滞は、成長の証拠でもある
渋滞が起きるのは、会社が悪い方向に進んでいるからではない。むしろ、Greinerの成長段階論に従えば、渋滞は「次の段階に進むタイミングが来た」というシグナルだと考える方が正確だと思う。渋滞に苛立つのではなく、渋滞をきっかけに、決裁レーンを引き直す機会として使う方が建設的だ。
あなたの会社で、今日決裁待ちになっている案件のうち、後戻りできないものはいくつあるだろうか。
よくある質問
Q. 決裁権限を渡すと、判断ミスが増えませんか。
渡し方次第である。取り消しがきく決裁(two-way door)だけを渡せば、ミスが起きても被害は限定的で、やり直しがきく。取り消しがきかない決裁までまとめて渡すのは、権限委譲ではなく責任放棄に近い。
Q. 何人を超えたら決裁レーンを引くべきですか。
統制範囲研究の目安(管理職一人あたり3〜8人)に照らせば、社長が直接把握できる人数を超えた時点で検討する価値がある。ただし万能の基準は存在しないという留保もある。人数だけでなく、案件の複雑さ・失注理由に「速度」が挙がっているかも合わせて見る。
著者について
山本高資。合同会社才有る者の楽園代表。志あるほんまもん企業を対象に、AIと経営の両面から意思決定の仕組み作りを支援している。
