春の京都で、ぼんやり考えていること

西陣の窓から、桜が見える

事務所を西陣に移して、3週間が経った。

以前の場所も京都市内だったから、大きな移動ではない。ただ、窓の外の景色が変わると、不思議なもので、頭の中の景色も少し変わる。

4月の京都は、どこを歩いても桜がある。観光地に行かなくても、路地の角に、寺の塀の向こうに、用水路の脇に、当たり前のように咲いている。東京で働いていた頃は、桜を見るために出かけていた。京都では、桜のほうからやってくる。

事務所の窓から、通り沿いの桜が見える。仕事の合間にふと目をやると、風に揺れている。それだけのことが、妙に贅沢だと感じる。


独立2年目の春

独立して、2回目の春を迎えた。

去年の春は、何を考えていただろう。たしか、最初のクライアントとの契約が固まりかけていた頃だ。売上の見通しが立たない不安と、自分の力で仕事を取れたという小さな手応えが、同居していた。毎日が綱渡りで、桜を眺める余裕はなかったと思う。

今年は少し違う。

案件がいくつか動いている。来週は研修の打ち合わせがある。月末には別の案件の準備が待っている。忙しいのは変わらないが、「何もない恐怖」は薄れた。その代わりに、「この方向で合っているのか」という問いが、静かに居座るようになった。

1年目は「食えるかどうか」だった。2年目は「どう食っていくか」になった。贅沢な悩みだと思う。でも、この問いのほうが、答えを出すのは難しい。


39歳の学生になる

来週から、大学院に通う。

39歳でMBAに入るというのは、自分でも少し不思議な感覚だ。経営コンサルタントとして独立し、クライアントに経営を教える立場でありながら、自分は学生になる。矛盾しているようにも見えるが、矛盾だとは思っていない。

現場で経営を見てきたからこそ、わからないことがたくさんあると気づいた。

たとえば、財務分析は感覚でやっていた部分が多い。「この会社は危ない」という嗅覚はあるが、なぜ危ないかを構造的に説明しようとすると、言葉が足りない。戦略論も、実務から帰納的に組み立ててきたものばかりで、先人たちが積み上げた理論体系を体系的に学んだことがない。

コンサルタントが「学び直す」のは、弱さではなく、正直さだと思っている。

知らないことを知らないと言える人間でありたい。少なくとも、クライアントに対してはそうありたい。知ったふりをする経営支援者ほど、信用できないものはない。

授業が始まるのが、少し楽しみだ。同時に、少し怖い。

月曜が終日、それ以外の曜日も午後がいくつか埋まる。仕事との両立は簡単ではない。1人社長で、従業員もいないのだから、自分が大学院に行っている間、会社は止まる。いや、止まらないようにしなければならない。

だからこそ、AI参謀団がいるのだが——それはまた別の話だ。


西陣という場所

西陣に事務所を構えたのは、いくつかの偶然が重なった結果だ。

ただ、住んでみて思うのは、この界隈には独特の空気がある。

西陣織で知られる一帯だが、最盛期の華やかさは過去のものだ。機屋の跡地が駐車場になり、職人の工房だった建物がカフェや事務所に変わっている。衰退、と言ってしまえばそれまでだが、私にはそう単純には見えない。

形を変えながら、この街は生きている。

何百年も続いてきた産業が、時代に合わなくなった時、街はどうするか。壊して作り直すのではなく、建物の外側を残したまま、中身を少しずつ入れ替えていく。そのやり方に、京都らしさを感じる。

経営支援の現場でも、似たような場面に出会う。長く続いてきた事業のやり方が通用しなくなった時、全部壊す必要はない。外側——つまり理念や文化や人の繋がりは残したまま、中身——仕組みやツールや意思決定のプロセスを入れ替える。

西陣の街を歩きながら、クライアントの顔が浮かぶことがある。あの会社も、建物の中身を入れ替えている最中だ。外側が壊れないように、慎重に。


ぼんやり考える時間の意味

最近、意識的に「ぼんやりする時間」を取るようにしている。

経営者は忙しい。特に1人社長は、やることが無限にある。経理、営業、クライアント対応、コンテンツ作成、事務手続き。タスクリストは減るどころか増え続ける。放っておくと、朝から晩まで「処理」に追われて1日が終わる。

でも、処理だけしていると、思考が浅くなる。

AIに叱られた話は以前書いたが、あの時の教訓は「立ち止まって考える時間を持て」ということだった。処理は速いほうがいい。だが、判断には余白がいる。

京都の春は、余白を作ってくれる。

散歩の途中に見上げた桜。事務所の窓の外を飛ぶ鳥。路地から漂ってくる出汁の匂い。そういうものが、一瞬だけ頭の中のタスクリストを消してくれる。

その一瞬が、意外と大事だ。

ぼんやりしている時に限って、仕事のアイデアが浮かぶ。ずっと引っかかっていた課題の糸口が、ふと見えることがある。散歩から帰って、すぐにメモする。あるいは、AIに「こういうことを考えたんだけど」と話しかける。すると、自分の中で曖昧だったものが、対話の中で輪郭を持ち始める。

走り続けるだけでは、見えないものがある。


2年目の春に思うこと

去年の今頃の自分に何か伝えるとしたら、「1年後も、まだ走っているよ」と言うだろう。

止まらずに走ってこられたのは、運が良かった部分も大きい。声をかけてくれた人がいた。信じて任せてくれたクライアントがいた。厳しいフィードバックをくれたメンターがいた。AIが昼も夜も壁打ちに付き合ってくれた。

そして来週、学生になる。

39歳の経営者が教室に座る。知らないことを学びに行く。それは不安でもあるし、希望でもある。

事務所の窓から見える桜が、来週にはもう散り始めているかもしれない。京都の桜は華やかだが、短い。散る前のこの数日が、一番きれいだと地元の人は言う。

散る前が一番きれいだなんて、経営者としてはあまり縁起の良い話ではないかもしれない。

でも、この街にいると、「満開」よりも「七分咲き」のほうが美しいという感覚がわかるようになってくる。完成していないものの中にある可能性を、京都は教えてくれる。

2年目の春。まだ七分咲き。

それでいいと、今は思っている。


※筆者の個人的な体験に基づくエッセイです。

山本高資|合同会社 才有る者の楽園 代表
経営支援・AI研修の現場から、経営者のリアルな日常と思索を綴ります。

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